厄除けと方位除けの秘密TOP → 厄年と方位除け入門「厄年の体験談」

厄年と方位除け入門「厄年の体験談」


厄年とは読んで字のごとく災厄に遭いやすいとされる年齢です。厄年の風習は平安時代の陰陽道にさかのぼるといわれていますが、はっきりした根拠などは不明です。
厄年と言えば、誰もがすぐに男性42歳の「男の大厄」と、女性33歳の「女の大厄」の事を思い浮かべるのではないでしょうか?
しかし、厄年は「42(死に)」と「33(散々)」に通じるこのふたつの年齢だけでなく、男性は25歳と61歳、女性は19歳と37歳も同じように厄年に当たっているのをご存知でしょうか?
また、厄年とはいっても、その1年だけ注意すればよいというものではなくて、厄年の前年に当たる「前厄」と後の年に当たる「後厄」を合わせた3年間は充分に注意を払わなければならないといわれています。

根拠のない「厄年」ですが、アンケートによると「厄年は迷信だと思いますか?」と言う問いに、約64%の人が「そう思はない」と厄年に肯定的な回答をしています。
また、厄年の人に対するアンケートでは、「あなたは厄年であることが気になりますか?」と言う問いに、約59%の人が「気になる」と答えています。

根拠のない「厄年」ではありますが、人生における節目の年と捉えて自分の身体を注意深くチェックして、リフレッシュする良い機会かもしれません。

では、実際に厄年をどのように過ごせばよいのかを、皆さんの体験談から考えましょう。


私の厄年の体験

私は高校を卒業後は大学へ進学をせず、
学生時代から続けていたアルバイト先へそのまま就職しました。
雑貨を扱う店で接客をしていましたが、
アルバイト時代にはわからなかった店の経営状態の悪さを知り、
長く続けられる仕事ではないかもしれないと思い始めました。
しかし就職してからまだ1年ほどしか経っておらず、
すぐに辞めてしまうことに申し訳なさがあり、
また店長がとても良い人だったので、
しばらく悩みながら仕事を続けていました。

ところが突然、店が閉店することになってしまいました。
店のオーナーの急な決定で、自分から辞めようか悩んでいたのに、
突然店の閉店を聞かされると頭が真っ白になりました。
私は職を失い、改めて自分が何をしたいのかを真剣に考えるようになりました。

その結果、やっぱり自分は接客が好きだと気付きました。
そして、元の店長から紹介された店で働き始めました。
それが19歳の本厄、20歳の後厄の出来事です。

仕事を失った時は、厄年だからと思っていたところがあります。
しかし厄年を吹き飛ばす気持ちで前向きになろうと
意識を変えたら良い仕事の話をもらえ、風向きが変わりました。
結局は自分で人生を切り開くのだと実感しています。
スポンサードリンク

厄年の体験談


厄年は医学的にも病気をしたり、社会的にも環境の変化がある歳と言われています。
今年本厄の私は、初詣には厄払いをしました。
結婚、引越し、家の建て替え、起業などを避けた方が良いと言われていますが、
それは今の私には当てはまらないので大丈夫かなと思ってました。

でも、厄年は婦人系の病気にかかる人が多いとも言われているので、
なかなか行けていなかった婦人科検診をしっかりと受けることにしました。
幸い結果は大丈夫でしたが、暴飲暴食など体に悪いようなことはしないよう心掛けています。
あまり厄年ということばかりを気にし過ぎてしまうのもストレスになるので、
不摂生はしないくらいであとは平和に暮らそうと思っています。

でも、先日自転車で転んだことがありました。
自転車で転ぶなんて、小学生以来だったので自分自身でびっくりしました。
膝と肘を擦りむいたくらいで済みましたが、
これも厄年だからかとちょっと怖くなったりもしました。

厄年は体力面でも精神面でも今までと同じようにいかなくなる年齢に
差し掛かったということなのかなとも思ってます。
自分自身を過信せずに、年齢をしっかり感じながら生きていこうと思います。

厄年に私に起きたこと


今までは厄年にあまり興味が無く、
厄年であってもあまり気にせずに、
お参りにもいきませんでした。

しかし、33歳に大変なことが次々とやってきて、
やはり神社にいっておけば良かったと後悔しました。

まずは家のあらゆる家電製品が壊れました。
洗濯機・オーブンレンジ・掃除機・パソコン・除湿乾燥機など、
小さい物ならまだいくつか壊れたものがあります。
それから息子の学校でのトラブルや、お母さん同士でのもめごと、
しまいには知人からの暴言など、本当に辛い物でした。

私は心労により身体を壊して、人生初の胃カメラも行いました。
幸い何も悪い所はありませんでしたが、本当に大変な日々が続きました。
良いことももちろんありましたが、33歳は激動の年になったという印象があります。
やはり厄年の時は、大人しくしていたり、神社でしっかりお祓いを行うべきなのでしょう。
私にとってはとても良い勉強になった年でもあります。
そういう意味でも、厄年は必要なのでしょうね。

スポンサードリンク

厄年に神社仏閣巡り


厄年というのは、その年だけでなく前厄と本厄と後厄があります。
意外にも前厄は色んなことがあり、様々な事でも上手くいかない物でした。
特に自分自身では子宮筋腫になり、翌年には手術をしました。

それまでは、色んなことがありましたが、
これは最高潮でないかというくらい次から次へとのしかかってきます。
なので、厄年をどうにか上手に乗り切る事をしたいと思い、
まずは厄払いをしようかと思いましたが、それより神社やお寺を巡るようにしました。
その際につけていたのが、ご朱印です。
ご朱印は神社や寺院を回った記念にもなりますが、
それだけでなくお守りとしても効果があります。効果は自分自身があっただけですが、
文字の中に入ったその場所のパワーが自分を守ってくれていると感じたからです。

もともと神社仏閣めぐりは好きでしたが、
厄年に限って3年間はより多く巡っていました。
また、近くの神社へ参詣をする事、
そうすると神様から守ってもらっている感があるのです。
これで私は、辛い時も乗り越えられました。

私の厄年の過ごし方


私の厄年はちょうど出産をした年でした。
厄年に出産すると厄が流れると聞いていたのであまりネガティブには捉えず、
初詣の時に祈願し、厄除けお守り・安産お守りを購入しただけでした。

出産までは特に厄と感じるトラブルもなく平穏な日々を過ごしていました。
しかし、出産をした途端に、家族にトラブルが立て続けに起こりました。
1つは弟が交通事故にあいました。大事には至りませんでしたが大きな事故でした。
もう1つは祖母が転倒、骨折、入院、施設入所となりました。
里帰り中で新生児を抱えながら母と私で看病、
諸々の対応と気持ちの休まる時がありませんでした。
自身への直接的な事柄があったわけではありませんが
家族や生活に変化をもたらすものでした。
厄年は年齢を重ねて自身の健康の変化が起きたり、自身が年を重ねた分、
家族も年を重ね健康に変化がでてくるので、
特に注意をしなければいけない年なのだと実感しました。

厄年は誰にでもいつか訪れるものです。
厄年をネガティブに捉えがちですが、
自身や家族の健康や生活を見直し注意をする機会と捉えて過ごせば
厄という気持ちは軽減されます。

私の厄年


もともと厄年などという考えはまったく信じていなかったのですが、
実際に本厄(25歳)になってみると、
本当に不幸がさまざま起こって大変な思いをしました。
特に私は精神的な疾患を負ってしまったため、
治りが遅く非常に辛い思いをしました。

具体的にはパニック障害を患ってしまったのですが、
まさかそれが本厄で起こるとは考えもしなかったのです。
そのため、その年は終わりまでつとめて静かに暮らすようにしました。
精神的にダウンしたのが夏頃だったため、
それから厄払いを受けるのは遅すぎるのではないかと思ったからです。
その上、その年は非常に忙しく、やることがたくさんあったため、
厄年対策をしている暇がなかったということもありました。

しかし、厄年は本厄だけでなく後厄もあります。
そして私の場合はその後も厄を引きずったといえるほど、厄年に悩まされました。
ですから、次の厄年が来る時には、必ず厄払いに行こうと考えています。
ですから前厄の時から次は対策を講じ、厄払いに行きたいと思います。

女性と厄年


女性の厄年は人生で四回ほどあり、十代を超えると三十代に集中します。
三十代はほぼ、ほとんどが厄年です。
本厄の後にも後厄などあるので、気にしすぎるとあまり人生が楽しくありません。

私はどちらかというと受け身で過ごしていました。
自らアクションを起こそうとするとトラブルに巻き込まれやすくなるので、
なるべく波風を立てないように大人しく過ごし、
前から何か物事がやってきたら身に任せて引き受けるという状態です。

あとは神社にお参りをしていました。
思うようないいことは起きませんでしたが、
毎日健康で無事にいられるだけでも感謝をするだけで
ものの見方が変わってくるので、ポジティブになってきます。

厄年でもポジティブ思考を忘れず、
謙虚な気持ちでいるとそこまで悪いことは起こらず、
安定した日々を過ごすことができました。
なるべく頭にいいことを思い描いて、リラックスをし、
ポジティブシンキングで毎日を過ごすと、厄年は前向きに乗り越えられます。

還暦と厄年

60歳になったときに還暦を祝ってもらったのですが、
そのときに数え年で61歳は厄年だと言われ、厄払いをして、
何事も慎重に行動した方がいいと、いろいろな人から言われました。

お祝いと厄年が重なるということに、何となく矛盾を感じたのですが、
それでも何事も慎重に対処すると自分に言い聞かせ、
新しいことへの挑戦もかなり用心深く行いました。

結果としては、特別な問題も起こらず、身体の変調もなく、
過ごせたので、やはり迷信みたいなものではないかと思いました。

でも、よくよく考えてみると、人間には体調の変化や慢性的な活動や考え方から、
思わぬ落とし穴に落ちでしまうことがあるので、何年に一度くらいは、
日頃の行いや考え方がそれでいいのか、自ら省みる機会を持つ方がいいぞという、
先人先哲の教えかも知れないということになりました。
厄払いも、そうしたきっかけを意識するための行事だと考え直したら、
人の知恵というのは、あらためてすごいものなのだと感心し、
とても嬉しい人生訓をもらえたと思っています。

私の体験した厄年と大病

ほとんどの日本人にとって「厄年」という言葉は生活の中に溶け込んだもので、
切っても切れないものとなっています。
これは、若者でも高齢者でも男性、女性の区別なくほとんどの人が何かしら信じているでしょう。それほど日本人の生活に溶け込んだものですが、
実は科学的な根拠はなく、起源もあいまいだと言われています。
しかし、私の場合、男の本厄と言われる42歳の時に大病を患いました。

10時間もかかる手術を行い、4か月休職することになりました。
ですから、厄年ということを私は信じています。
それ以後も、定期的に健康診断など受けるようになりました。
俗に男性の厄年は25歳、42歳、61歳と言われ、
女性は19歳、33歳、37歳と言われます。
男の42歳、女の33歳は大厄と言われます。

男性にとっては42歳、女性にとって33歳の前年を前厄、
翌年を挑厄(はねやく)、または後厄と言割れますが、
まさにぴったり当てはまりました。
人生や人間の体には一定の期間を過ぎればメンテナンスが必要になるのでしょう。
私は経験上、厄年とは車にとって車検が必要なように
人間にとっての「健康検査時」だと考えて特に健康に注意して過ごしています。

私の体験した厄年に思うこと

現在、本厄年でしかも大厄という年齢です。
去年の前厄のときはさほど気にしてなかったのですが、
さすがに本厄の大厄ということで、前回の厄年よりも気になったため
1月の中旬くらいに厄払いで有名な神社に厄払いにいきました。
まずは一年の初めに厄払いにいったといくことで、
気持ち的に楽になるようにしました。

後の普段の生活のときは、
なるべく厄年であることを考えないように生活していて
普段持ち歩くもにだけお守りを持つようにしています。
しかし、
大きな嫌な出来事や不運な出来事は1年でやはり起こってしまうことがあります。
その時はどうしても厄年が原因で起きたのかと思ってしまうため、
もし、大きな出来事や不運な出来事があった場合には
厄払いに行ったからこの程度の事で終わったと思い、
厄払いに行ってなかったらきっともっと大きな事になっていたに違いないと
常に思うようにして厄年を乗り切っています。
正確にはこのまま考えで残りの日数を乗り切ろうと考えています。

厄年関連記事一覧



スポンサードリンク